友達のお父様の訃報があった。
私は15年前にすでに父を亡くしていて、その後もぽろぽろと周囲に訃報はあったが、年齢的に、これからこういったことが増えていく気がした。
辛いのは、誰かが肉親を亡くした話を聞くと、自分の時の悲しみが戻って来てしまうこと。
そのお父様は、学生の時にお会いしたことがあり、私の事を覚えていてくれたらしい。
この春友人と会った時にたまたまお父様から彼女に電話があり、私と一緒だと伝えたら、話したいとおっしゃって、「これからもどうぞ娘をよろしく」と言われたのだった。
すでにご病気で伏して居られたが、頭はしっかりされていたので、今思えば、長くないことを悟っていたのでは、と思う。その時は全く気付かなかったが。
親を亡くすのは誰にでもあることだが、乗り越えるのには時間がかかる。やはり、自分を育ててくれた存在だから、思い出は多すぎ、そしてその人がだんだん弱っていき最期を迎えるのが堪えがたいのかもしれない。
人間には忘れる“能力”がある。「日にち薬」というもので、少しずつでも和らいでいくことを伝えたい。
訃報があると、人はいつか必ず誰もが死ぬことを改めて思う。今悲しんでいる当人も、いつかは逆の立場となる。これはぜったいに逃れられない。
そして、今、自分も死に向かって歩いていること、時間は有限であることを思わずにはいられない。