小池都知事のオリンピック閉会式、着物姿だった。ここで着物を着ようという発想は、小池氏ならではだと思う。着物が好きでよく着ている私は本当に嬉しかった。
しかし、着方がどうとか、動きがどうとかといった、専門家による批判があって驚いた。小池氏はモデルではなくて政治家である。
もしも専門家として述べるのであれば、フォーマルのあの場にふさわしい格の着物かどうかということが問題で、それはあの場にぴったりの素敵な装いだった。
小池氏本人は、礼にかなった着物をきちんと着ていたので全く気にしていないと思うが、こういう批判を真に受けて、これから着物を着ようという人が気おくれしないように願う。
専門家と言えば、着物で食べているわけで、あらさがしをして自分で自分の業界の足を引っ張ってはいけない。「こういった場に民族衣装の着物を着るのはさすが」と言ったらずいぶん印象も違ったと思う。
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さて、この機会に着物について思う事を書きたい。
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着物業界について
着物というと、すぐに「高い」「お金がかかる」「贅沢品」といった印象がある。
しかし、どうして高いかというと、一番大きいのは、旧態依然の流通システムで、生産者から消費者に届く間に幾つもの卸を通り、価格が上乗せされるから。
職人さんの気の遠くなるほどの糸績みや手織りの作業にお金を払っているのではなく、間の業者と販売店に払うお金が多いのだ。その証拠に、産地は年々後継者が減っている。
そういうわけだから、では、糸績みや手織りでない機械織は安いのかというと、そうでもない。上に書いた通り流通経路に問題があるからだ。
しかし、業界はそのシステムを守ろうとしているため、普通に呉服屋さんで着物を買おうとすると、とても高価で手が出ないことになる。
少しは変化もでているようだ。
ネットのあるお店では、同じ着物が呉服屋さんの1/3くらいで買える。卸が小売りもしているのだ。わからないこともメールで問い合わせれば丁寧に教えてくれるし、しつこいセールスもなくさっぱりしている。
業界からその店に嫌がらせがないか、少し心配ではある。というのも、どんな呉服屋さんでも、そういったネット店との価格差2/3をうめるサービスや価値を提供をするのは難しいと思うからだ。
ネットで新古品や中古品も買える。新古品は、おそらくは、お嫁に行く時に作って持って行った人が結局着ないで、手入れも大変だし場所も取るしという事で手放したもの。
着物が財産だった昔とは違い、不幸でお金のために手放したのではないと思うから、全く気にならない。新古品・中古品はよく探せば、綺麗な物が驚くほど廉価で手に入る。
着物は形が同じ(洋服は着てみないとシルエットがわからない)でサイズが明記されているので、洋服よりもずっとネット向きだと思う。
製作者がネットで直接売ってもいいのではないだろうか。今後、流通を省略した形がもっと増えてほしい。そうなれば、生産者も増え、価格もリーズナブルになり、着る人も増えるだろう。
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なぜ着物にこだわるか
私が着物を好きになったきっかけは、もう10年以上前になるが、海外赴任中に結婚式に呼ばれ、当時着物を持ってもいないし着方もわからなかったのでとても残念な思いをしたことである。
現地では、チャイナ服のウェディングドレスを着た中国系の同僚や、遊びに行ったら金色のまばゆいサリーを着て迎えてくれたインド人の同僚を見た。
彼女たちが自国の民族衣装を誇り高く着こなしているのを見て、それまでは「英語が~」「今アメリカでは~」と自国については全く関心をはらってこなかった自分を反省し、自国の素晴らしい文化に気付いたのだ。
残念ながら、着物は着るのが難しい。世界に民族衣装は多いと思うが、着る為の学校かあるのは日本だけではなかろうか。「着付けを習っている」というと、外国人に「何で着るのを習うのか?」と理解してもらえないことが多い。
日本文化の継承のために、今は学校で琴などを教えるようになったそうだが、着物の着方を教えてほしい。若い頃はすぐ習得するし、一度習得したものは、忘れてもすぐ思い出す。今後はグローバル化で、民族衣装を着る機会も増えると思う。
そうそう、若い頃に高円寺の阿波踊りに二年連続で出たことがあったのだが、洋服で集まって着物に着替えるので、男女にかかわらず着物は外見が3割増しになるのがよくわかった。これも民族衣装の利点である。
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雨の中の着物に心配の声があった小池氏。しかし明らかに一生に一度の機会、とても満足されていたのではなかろうか。