【書評】本当はブラックな江戸時代 永井義男著 時代劇がお好きな方、どうぞ。

11/2の新刊本。「江戸はあなたが想うようなユートピアではない」と本の帯に書いてある。

恐らく、そう思う人がいるとすれば、私よりずっと若い人達であろう。

だから、この帯のコピーには賛同しかねる(江戸がユートピアなんて想ってない、と言いたい)。

なぜなら、何も江戸時代まで遡らなくても、自分の子供の頃を思い出すだけで、今が便利で、清潔になっていて、人権が守られるようになっていることがよくわかるからだ。

例えば、幼稚園の頃に引っ越した家二軒の前の道路は舗装されておらず、風の強い日は砂埃が飛び、雨の日は泥水となった。轍が残らないために大きい砂利が撒いてあり転ぶとひどく怪我をした。

学校のトイレは、一部が汲み取り式だったし、木でできたお風呂はところどころ黒っぽくてぬるぬるしていた。

障がい者は今は禁止されている呼び方が普通だった。私の持っていたヘレン・ケラーの伝記には、その言葉が3つ並んでいた。

ネガティブなことばかり書いたが、そうは言っても私は明治維新の頃の歴史小説・江戸時代の時代小説が好きだ。

それは、あまりに違う文化や生活、そしてそこから脈々とつながって自分がいるという不思議のせいであろう。

さて、この本でとりあげられていることをいくつか紹介しよう。

奉公人の休暇は年に二日だけ

今、私達か使っているのはキリスト教を元にした西洋歴である。(世界を作り終わった神様が日曜日をお休みにした。)

そして、「盆と正月がいっしょに来たようだ」という表現があるので、まぁこんなものかな、とは思っていた。皆、働きものであったろうとは想像できる。

安全ではなかった江戸の町

幕府の治安担当者の人数があまりに少なく、危険な業務は民間人が担当していたらしい。

テレビの時代劇を見すぎかもしれないが、人口の多い江戸には○○奉行、火付盗賊改め、岡っ引きなど、沢山いたのかと思っていた。

江戸っ子は毎日風呂には入っていない

当時は家に風呂はなく、6日あるいは20日に一回程度だった。ただし、夏場は家の行水で済ましていたようだ。

どうやら、風呂の習慣のない西洋人が書き残したもので誤解を生んだらしい。

まとめ

当然のように便利で清潔な現代をすごしている身にはとても耐えられそうもない江戸の生活である。

しかし、当時の人々は、とにかく生きるのに必死でかつ寿命も短く、今の私達のように自分の人生について疑問をもったり悩む暇などなく死んでいったのではなかろうか。

江戸の人の方が不幸(を感じていた)とは一概に言えず、この本を知っても、”タイムトリップして覗いて見たい” という気持ちは尽きない。

江戸が好きかどうか、の試金石として、どうぞ。

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