「あの世はある」 黄泉の国からの訪問者 

このテの話が苦手な方は、この先を読まないでください。

以前にここの「魂は存在する」という記事で、一時期私の霊感が強かったのか、不思議な体験をしたことを書きました。

魂らしきものを見た、その前年。事情で姉と一緒に住むことになり、引っ越したばかりの時のこと。

たまたま大学の同じゼミの仲間の一人も近所だとわかり、仲の良い5人でうちに集まって飲み食いした後、今度はゼミ仲間の家に行き、飲み直して旧交を温めたのです。

その半年くらい後。その中のM君が結婚。そして結婚の2ヶ月後、M君は急な病で突然救急車で運ばれ、そのまま亡くなってしまいました。

当時、NHKで、チベット仏教についての特集をやっていて、たまたま姉と見ていました。チベット仏教は輪廻(りんね)の思想で、死者は家族や友達に会いにいった後、生まれ変わるのです。

さて、M君が亡くなって数日後。私はなぜかあまり良く眠れずにいました。あとで聞いたら、隣の部屋の姉も寝付けずにうとうとしていたそうです。

夜中に、「ギィーッ」という音で目を覚ましました。ドアが開いた音。そして、足音がこちらへ近づいてきます。その足音は、居間(姉と私の部屋は、両方が居間に続く、いわゆる“振り分け型”の間取り)に来て止まりました。

私は怖くて、どきどきしてじっとしていました。しばらく時間が経ちますが、何も起こりません。部屋は真っ暗ですが、デジタル時計を見たら午前2時過ぎ。その後、私はそのまま寝てしまいました。

翌朝、姉に聞いたら、姉もそのドアの音を聞いていたとのこと。

その時、私はすぐにわかりました。それはM君が、あの世からドアを開けて訪ねて来た足音だったのです。

「あ、それ、M君だ。M君が来たんだ。」と私。

チベット仏教では、死者は亡くなった後、家族と友人のところへ挨拶にまわるのです。

そして、「お姉ちゃん、ちょっと聞いて」

私は玄関を始め、マンションの中のドアを開け閉めして廻りました。

そのマンションは新築で私達は入居したばかり。

開けてもせいぜい「ガチャッ」という軽い音で、当然、「ギィーッ」という蝶番(ちょうつがい)のきしむ音など全くしません。

姉と二人、鳥肌が立ってしまいました。

鳥肌が立った、と書きましたが、その後よく考えたら、わざわざ会いに来てくれたのだから、嬉しいと思うようになりました。

足音が止まった場所は、居間で、まさにゼミ仲間とパーティーをしたところ。M君は懐かしくて、見に来たのかも知れません。

昔から、丑三つ時は、あの世とこの世の間をつなぐ時刻とされています。それは本当に違いありません。

そして、おばけ屋敷で聞かれるような、古くて重いドアの開く時のきしむ音。その後、そのマンションに住んでいる間、二度とその音を聞くことはありませんでした。





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