続けるということ。 「マイナスの完璧主義」「0か100か思考」

何をやっても長続きしない。仕事も、同じ担当だと飽きてしまうので、2~3年毎に上司に言って担当変更してもらっていた。

学生の時の部活もそう。中学はバドミントン部で、高校も続けようと思っていたのだが、やっぱりやめた!と、剣道部へ。

大学の時はクラブではないが、スキーを始めて冬にはも毎年2,3回行ったが、社会人になってからは数回しか行っていない。他にもいろいろな習い事が・・・。

理由はわかっている。スポーツでも何でも、最初のうちは大変ではあるものの伸びが著しい。どんどん上達するから楽しい。ゼロからだから、当然ではある。

しかし、中級以上は遅々として進まないし、そもそも同じやり方では通用しない。そして、同時期に始めた人達が、自分よりもっとずっと先に、霞んで見えて来る。つまらなくなって、ああ、これ、自分には合ってないよね、と止めてしまう。

そこまでがだいたい、3年。そして、「何をやっても長続きしないやつ」と自分を責めるのだ。

数年前に、(やはり3年経っていた)生け花と着物。もう止めよう、と思っていた時。

たまたま会社の同僚とランチしていて、彼女の手編みのセーターを褒めたら、「私は最初は適当にすすんでいくから編みあがるけど、妹は完璧主義だから出来ないの。」と言った。

その一言で、自分が「マイナスの完璧主義」「0か100か思考」だということに気付いたのだ。

編み物をしたことはないが、えてして何に対しても、最初からすごくいいものを作ろうとするけれど、もちろん出来ない。そして、長期間の努力をしないうちにあきらめてしまうのだ。

同僚の一言で、しばらくは生け花も着物も無気力ながらも続けることにした。嫌いなわけではなく、単に最初の頃の情熱がなくなっただけである。自分の興味にもやる気にも波があるということを認め、時には低空飛行で行く。

数か月休んでいたジョギングと英語のレッスンを、最近再開した。一度止めたものも、またやりたくなったら再開すればいい。

止めたり、低空飛行で続けたり、再開したり。情熱が続かなくても、自分を責めずにやっていく。そのうち、本当に好きなものに収斂していくのではなかろうか。

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